そして、私は甲子園へ向かった
〜1993年8月11日

(この話は私にとって忘れられない横浜商大高校野球部の平成5年夏の出来事である)


 私の母校は皆様もご存知のとおり「横浜商科大学高校」である。私は横浜商大高校のおかげで野球が大好きになった。私は今でも毎年夏に横浜商大高校野球部の応援をしに球場に足を運んでおり、平成12年夏より勝手に私設応援隊長になるまで熱心に応援をしている。この横浜商大高校野球部は昭和16年に軟式として創部され昭和21年に硬式に切り替えられた。この横浜商大高校野球部、今では強豪復活の呼び声が高いが私が入学するずっと前、詳しく言うと夏の甲子園初出場(昭和41年、当時は横浜第一商業高校(通称横浜一商高校)と呼ばれていた。昭和50年に現校名になる)や昭和44,45年の倉持明先輩(元ヤクルト、ロッテで活躍)の時代や昭和47年の木田勇先輩(元中日、日本ハムで活躍)の時代や昭和50年の松本隆春先輩(元大洋(今の横浜))の時代が終わった後、早期敗退などの低迷が長年続き、挙句の果てには昭和56年に暴力事件で出場辞退ということもあった。だが、商大高校野球部はこんな苦い経験を吹き飛ばすかのように昭和58年金沢哲男先生(鎌倉学園高校OB。通称シバ先生、東芝にいたから)が監督就任後、平成元年春に選抜甲子園大会に出場(結果は初戦敗退だが)するなど徐々に力をつけてきていた。だが私が入学する2年前には準々決勝、入学する前の年には4回戦と夏の大会では惜しいところで涙を飲んできた。そして私が入学してまもなく、早速春の県大会があった。商大高校は第2シード校として出場していた(しかも優勝候補だったらしい)。2回戦、3回戦は難なく勝ち進み4回戦へ進出した。そして4回戦、場所は商大高校グラウンドで行われた。相手は好投手石塚投手を擁する鎌倉学園。中盤まで鎌学が1−5とリードする苦しい展開だった。だが徐々に点が入り、あっという間に1点差になった。そして二死満塁のチャンスに当時の商大高校キャプテンの笹間貴徳先輩((株)神奈川中央交通)の代打満塁ホームランで見事9−6で勝利を収めた。だがこの大会は準々決勝で横高に2−3で敗退した。そして3ヶ月が過ぎ夏を迎えた。だがこの年の夏は「冷夏」という寂しいニュースばかりが流れていた。そして私自身も数学の成績が悪く、夏休みの初めは数学の補習と部活の練習(ワンダーフォーゲル部、中規模な山登りをする部活)に明け暮れていた。だがこの夏が私にとっても商大高校にとっても心に残るいい夏休みになるとは思いもしなかった。野球部のほうは第2シード校として夏の神奈川大会を出場し2回戦から5回戦まで4試合連続コールド勝ちをしていた(この大会で商大高校が優勝候補に挙げられていた事を知ったのは高校1年の終わりごろ(3月ごろ)だ)。

7月18日2回戦伊勢原高戦(保土ヶ谷球場)
商大  09110=11
伊勢原10000= 1

7月22日3回戦横浜市立金沢高戦(川崎球場)
市金00000000=0
商大10110322X=10

7月25日4回戦県横須賀高戦(県立相模原球場)
県横00000=0
商大0246X=12

7月28日5回戦慶応高戦。場所は横浜スタジアム。私は初めて高校野球を観戦した。横浜スタジアムは自宅近くで学校の帰り道の途中にあるので数学の補習の帰りに寄ってみた。この試合も大量に点を取り、守備もものすごく堅く、こんなにいい試合を見たのは初めてだった。そして商大高校の迫力ある応援に惚れた。この試合を見て私が野球が大好きになる引き金になったといってもいいくらいだろう。この試合は10−0とまたも商大高校がコールド勝ちをした。

慶応00000=0
商大0271X=10

そして迎えた7月29日準々決勝。対するは商大高校にとっては強敵の1校である東海大相模高校。場所は平塚球場。私は数学の補習の最終テストで応援しに行くことができなかった。

「商大高校の夏は終わった・・・・・・。」

私はもちろん、誰もがそう思っていた。テストに見事合格した帰り道、いくら商大高校が力をつけてきていても強敵校に勝つ力はまだないと思い込んでいた。家に着いて部屋に入り、とりあえずラジオのスイッチをひねった。そしてまもなくしてうれしいニュースが飛び込んできた。

「商大高校が東海大相模に勝ちました・・・・・・。」

早速高校野球速報のテレホンサービスで確認したところ、なんと商大高校が4回の8番サード青柳大輔先輩の2ランホームランと堅い守備などで4−2で勝ったというのだ。

「まさか商大高校が強敵校に勝つだなんて・・・・・・。」

私はこの出来事は夢じゃないかと思ったぐらいだった。その夜、全校応援の連絡網が飛び交った。

商大200200000=4
東海000000110=2

7月30日、実に21年ぶりの準決勝だ。対するはまたまた商大高校にとっては侮れない神奈川県立山北高校。場所は横浜スタジアム。これもどうかわからない試合だった。そして試合は思わぬ大苦戦だった。それまで好投していた米山勝久先輩から6回にエースの福田香一先輩((株)住友金属鹿島〜(株)サンワード貿易)にスイッチした。だが6安打と湿り、しかも8回表に逆転されてしまった。その瞬間商大高校の応援席は全員立ち始めて怒こり始めたが、応援部員が

「落ち着いて座ってください、どうせこの後すぐ逆転しますから!!」

と言ったら皆落ち着き座り始めた。8回裏にも1番キャッチャー関野先輩の二塁打と2番センター浅場先輩のバント安打でノーアウト1,3塁としたがすぐに2アウトになってしまいこれまでかと思った。だが5番ファースト菅先輩がフォアボールで出塁し二死満塁のチャンスになった。そこで出てきたのは代打の笹間先輩だった。笹間先輩は前にも書いたとおりチャンスでいい活躍を見せておりスタンドが沸いた。その期待にこたえて見事に逆転2点タイムリーを放ち4−3と見事勝利を収めた。だが試合が終わった後私は

「今日は危なかった・・・・・・。」

と思った。そして明日は実に23年ぶりの決勝、最大の強敵横高との対戦だ。その夜も全校応援の連絡網が飛び交った。

山北000001020=3
商大00002002X=4

遂にこの日がきた。7月31日決勝戦、対するは商大高校にとっては最大の強敵でしかも3年連続決勝進出し、大会屈指の左腕白坂勝史投手(元中日)を擁する横高だ。場所は川崎球場。この日は日差しが強く今までの冷夏とは打って変わって暑い日だった。

「Y!!O!!KOKO横高!!」

一塁側には黄色いメガホンが綺麗に舞っていた。
こちらも負けずに、

「S H O D A I商大Y!!S!!商大!!」

とグリーンのメガホンを踊り狂わせながら熱い声援を送った。

この男ばかりのむさくるしい試合(笑)はまず2回裏、この日は先発のレフトとして出ていた笹間先輩が二死二塁のチャンスに先制の二塁打を放つ。「笹間コール」が鳴り響く。3回裏にも浅場先輩の三塁打から4番ショート斉藤秀光先輩(現阪神)が決勝のタイムリーを放つ。守備でも死球と送りバントで二塁に出た当時の横高のキャプテン平馬淳内野手(東芝)の三進を刺すなどすばらしいプレーを見せた。だがそんな良いプレーばかりではない。危ない場面もあった。5回表にいきなり斉藤宜之内野手(現巨人、私の中学の先輩にあたる)に1点タイムリーを打たれたり、7回表に二死満塁の大ピンチという事もあった。だが商大は冷静だった。抑えたのだ。試合中、金沢先生は円陣を組んでこう言った。

「甲子園に行こうと思うな。ディズニーランドに行くつもりくらいでいいんだ」

そんなリラックスがピンチに好守といった事につながったのだろうか。尚、神奈川大会決勝戦は今まで打撃戦が多かったがこの試合は何年ぶりかの両チームノーエラーの息詰まる1点差の大接戦だった。そして遂に9回表、笹間先輩はレフトの守備を中村善雅先輩(横浜Fマリノスの中村俊輔のお兄さん。この善雅先輩が主にレフトを守っていた)にまかせた。だが大会屈指のエース福田香一先輩がなかなか出てこない。何をしていたかと言うと突然鼻血が出てきてそれを止めていたというのだ(^^;)。だが香一先輩は9回表も難なく抑えた。そしてあと1人、忘れられない瞬間が待っていた。横高の最後の打球がこの回からレフトを守っていた善雅先輩のグラブに納まった・・・・・・そう、あの最大の強敵横高に2−1と勝利を決め27年ぶり2度目の夏の甲子園大会出場を果たしたのだ!!その瞬間グリーンのメガホンやうちわなどが空高く飛び舞い、私は暑い中思わず隣で「やった!!やった!!」と叫んでいる友達と抱き合って喜んだ。泣き出したOBの方もいた。そして私たちは肩を組みながら校歌を唄い喜び合った。選手の皆様方も校歌を歌いながら喜びと感動の涙で顔をクシャクシャにしていた。そして表彰式、祝福と健闘をたたえる拍手が割れんばかりに鳴り響いた。商大高校ナインが球場を一周した時や金沢先生と笹間先輩の胴上げを見た時、これまた感動を呼んだ。最後に野球部の部長先生の牛上義明先生(横浜商大高校昭和42年3月卒業)の「牛上コール」が鳴り響いた。私はもうこれは夢でも見ているんじゃないかと思い、友達と殴り合ってみたら痛かったので夢ではない事を確信した。家に帰ってからも興奮が冷めずに夜あまり眠れなかった事を覚えている。その時私はこう思った。

「野球って人を感動させるすばらしいスポーツだったんだ。野球ってこんなに面白いスポーツだったんだ。」

今でもこの夏の出来事は私の心の中に残っている。すばらしい逆転劇を演じた準決勝戦やすばらしい1点差の大接戦を演じた決勝戦など商大高校の野球は当時15歳の私に夢と希望を与えてくれた。この出来事はいつまでも私の心の中に残っているだろう。永遠に・・・・・・。

横浜000010000=1
商大011000000=2

2日たった8月2日、生徒2000人を集めて壮行会が行われた(この時も連絡網が飛び交った)。学校には甲子園出場の垂れ幕が沢山あった。壮行会も無事に終わり、ポスターと寄付金の書類と甲子園応援申し込みの書類をもらい、家へ帰った。8月6日に甲子園応援の申し込みをし、そして8月11日夜、夜行バスで甲子園へ向かった。夢をのせて・・・・・・。
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